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日本で一番東にある古本屋〈道草書房〉のブログです。 本やそれにまつわる色々についてのよもやま話です。






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みちくさ(道草書房店主)

Author:みちくさ(道草書房店主)
専門分野は、ミステリ・文学、それと郷土(北海道/根室)関係をちょこっと。
日本の片隅で細々と商いをしている、古雑誌をこよなく愛するおっちゃんです。



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【店主の読書ノート21】『神様のピンチヒッター』(矢作俊彦著、光文社刊)
神様のピンチヒッター

2004年11月3日、《道草書房》は、開店しました。
開店して最初に売れたのが、文庫版の『神様のピンチヒッター』でした。
そう、当店にとってこの本は、特別な一冊なのです。

売れたときに思ったのは、いずれ読んでみようということ(個人的に一度も読んでいなかった本なので)。
矢作俊彦氏自体、嫌いじゃないですし。

で、7年経ってやっと読みました。

さて、『神様のピンチヒッター』。
表題作を含む6編からなる短編集です。
そのうちのいくつかは、ゆるやかに作品世界がつながっています。

矢作俊彦特有のSTYLE(本来の意味である“文体”はもちろん、ニホン語の“スタイル”が指しているファッションや様式といったものも含む)に貫かれているので、好きな人にはこたえられないが、受けつけない人はまったく駄目だろうな、と思わせる世界です。そこが、好事家には堪らんのでしょう。

その骨格は、チャンドラー風のハードボイルド。
ただし、一人称ではなく三人称。
三人称だが叙述は、主人公に寄り添うような視点で固定されている。
自分の趣味嗜好については饒舌にもなるけれども、肝心のことは口にしない登場人物。彼ら彼女らの真意は、行動やささいな仕草から汲みとるしかない。
ストーリイの構成の緻密さや謎解きで勝負するミステリではない。文章自体の流れに乗って登場人物の心の裡を読み解いていく小説。

要約すると、こんな感じです。

作者20代前半の作品集。だからという訳じゃないですが、描写に瑞々しい若さが溢れています。そこが、本書最大の魅力でしょう。
例えば、巻頭の「抱きしめたい」冒頭。主人公が、銃撃戦の末、フードなしのTR4を駆って国道246で一気に御殿場まで突っ走るシーンの躍動感といったら!

ミステリと云うよりも、ハードボイルド小説として、文章そのもののノリを愉しみたい一冊です。

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【店主の読書ノート20】『現代推理小説大系第8巻 短編名作集』(小酒井不木・海野十三・水谷準ほか著、講談社刊)
講談社現代推理小説大系8

一見、世間様の動きとは関係ないような古本業界ですが、どうしてどうして、それなりにニッポン経済とつながってなくはありません。
まあ、「つながっている」ではなくて、「つながってないではない」という、微妙なニュアンスを使わざるを得ない。そんなささやかな「つながり」なんですが。

この十数年来、日本経済を悩ませているデフレ現象。どの業界もこれに悩まされている訳ですが、古本業界も例外ではございません。

とくに全集物なんかは、マトモに影響を受けました。諸先輩方や業界誌なんかによりますと、一部の例外を除いて、ピーク時の半値や3分の1が当り前みたいです。

たしかに全集物は、「大きくて」、「重くて」、「場所をとる」という物理的条件が、
現代の「コンパクトで」、「軽く」、「スペースを無駄にしない」という生活に合っていません。
それが、価格の低下を招いている主因なのだと思います。

たしかに全集物は、物質としては今のライフスタイルに合ってはいません。
けれど、そういった不利を補うだけの内容があるという側面を見逃しては、イケナイ、と思うのであります。

としての全集の特長としては、「充実した注釈・解説・解題と詳細な資料」が、まず挙げられます。
また、単行本や文庫になっていない作品や文章が、全集には収録されている、というのもあります。全集でしかお目にかかれない―或いは入手しやすい―作品というのも存外あります。それに、活字も一般的に文庫などより大きく見やすかったりもします。

この講談社による『現代推理小説大系』も、そんな全集のひとつです。

ここでは、第8巻『短編名作集』を採り上げますが、他の巻にも現在では入手しにくい長編が、いくつも収録されております。

さて中身ですが、
本巻には、国産創作探偵小説の初期から昭和30年代までの23短編が収録されております。
日影丈吉の「かむなぎうた」や高城高の「ラ・クカラチャ」といった名作から他では読むことの出来ないものまで、粒揃いのセレクションです。

最近の出版事情では短編集は売れませんから、有名短編といえどそう手軽に読むことが出来ません。
そういったなかでこういった全集物の短編集は、1冊でバラエティに富んだ多くの名作・傑作・知られざる作品を読めるお得な商品だったりするのです。

本書から店主サトーが、個人的な好みで5つ挙げるとすると―

羽志主水「監獄部屋」…北見のタコ部屋を舞台にした、大正末期のちょっとプロレタリア臭のする短編。文章は粗いが時代が感じられる。オチは、現代の眼ではストレートすぎるかもしれないが、当時はけっこうショッキングだったのでは。

水谷準「おーそれみを」…久生十蘭・地味井平造など、函館中学出身の探偵作家に共通するのは、根底に流れるロマンティシズムだと思う。この作品なんかもそう。あらすじだけ書くと、(昭和初期の科学知識なんかを考慮に入れても)なんだこりゃ、となるかもしれない。けれど読んでみると、その甘酸っぱさが、いい味をかもし出しています。作者の故郷、函館が舞台です。

渡辺温「可哀そうな姉」…聾唖者の姉と彼女に育てられた弟の物語。姉の庇護から離れ、自立しようとする弟による一人称一視点による短編。いろんな意味で本当に姉が「可哀そう」に思えてくるお話。

日影丈吉「かむなぎうた」…東京生れの少年が、母を亡くし父の故郷へ引きあげてきた。その少年が大きくなり、幼い日を回想するという構成のストーリイ。子供の目に映った村の生活の描写が見事。夢と現実が混然となった好短編。

高城高「ラ・クカラチャ」…仙台を舞台に、社会の底辺で蠢く男女を描いた作品。気だるい夏の昼下がりの雰囲気がよく出ている。カメラ・アイで捉えた情景描写と行動、それに会話で構成された硬質な文体。国産ハードボイルド初期の傑作。

ちなみに、掲載されている21名のうち、5人が北海道生まれ及び北海道育ちであり、これに一時期北海道に住んでいた加田伶太郎(福永武彦)を加えると、ジツに6人が北海道に縁があるということになります。(次に多いのは、愛知・大阪・東京出身の3人。)
これは、国産探偵小説がどういった人びとによって創られていったかを考えるうえで、ちょっと頭の隅に入れておいたほうがいい事柄です。

【道草書房HP】http://www18.ocn.ne.jp/~michiksa/
【道草書房古書目録当該ページ】http://www18.ocn.ne.jp/~michiksa/il02-2a.html


【店主の読書ノート19】『BANANA FISH』(全19巻、吉田秋生著、別コミフラワーコミックス版)
bananafish


1973年、ベトナム。
ひとりのアメリカ兵が突如精神錯乱を起こし、銃を乱射する。
兵隊仲間のマックスが両膝を撃ち騒動は治まったが、そのとき兵士が漏らした「バナナフィッシュ」という言葉が、彼の胸に深く残った。

1985年、ニューヨーク。
下町の不良少年を仕切るアッシュは、銃で撃たれた男の死に際に立ち会う。
そのとき男が残した言葉が「バナナフィッシュ」
それは、彼の兄グリフがうわ言で繰り返すフレーズでもあった。

そう、グリフこそ12年前に乱射事件を起こした兵士だったのだ。

「バナナフィッシュ」の謎を巡る物語は、こうして幕を開けることになる―


少女マンガにくわしいワケではないですが、さすがにこれくらいメジャーな作品になると、名前ぐらいは知っていました。
なにせ全19巻(フラワーコミック版)ですからね。連載マンガというのは、人気があるうちは終らせでないで引っ張るものですから、巻数というのがある種の目安になります。その点、この『BANANA FISH』は実績十分。相当な人気を得ていたと云っていいでしょう。

で、買取りで入ってきたのをさいわいに、読んでみました。
すなおに面白かったです。
少女マンガ好きというのではない40過ぎのおっさんが言うのですから、間違いありません(^^)

たぶん作者は、おおまかな枠組み(「バナナフィッシュ」の正体および登場人物のキャラクターなど)とストーリイの流れだけを決めて、描き始めたのだと思います。
連載マンガの場合、どのくらいの長さになるのかは、読者(人気)次第のところがありますから、最初から細かいところまで全体像を煮詰めて物語を構築する、というのは無理なことです。むしろ、読者の反応や物語の進行具合を睨みつつ、方向性を決めていくくらいの“あそび”の部分がないと、こんなに長く続かないでしょう。

もちろん、物語のなかに「謎解き」が据えられているので、まったく行き当たりばったりというワケにはいきませんが。

実際読んでいくと、ストーリイの進行とともに登場人物が動き出し、それぞれの性格や行動様式が確立していくなかで、中心であったはずの「バナバフィッシュ」の比重は、どんどん軽くなっていきます。
反面、人間対人間の部分がクローズアップされていき、それに取って代わるようになります。

ひらたくいえば、アッシュと“パパ”・ディノ・ゴルツィネとの対決。
いわば、アッシュによる「父性の克服」
それと、
アッシュとエイジとの愛情です。
(アッシュもエイジも男ですが、エイジの立ち位置は、少女マンガにおけるヒロインそのものです。また、“愛情”といっても性的な意味ではなく、もっと精神的なものです。)

当初の構想では、「バナナフィッシュ」を巡る謎と、派手なアクションで展開する予定だったかも知れません。
しかし、主人公のアッシュやエイジらのキャラクターが、予想以上に成長していくなかで、そういったありきたりの方向では、収まりきれなくなったのではないかと思われます。

登場人物たちの成長に相応しい、もっと大きなテーマが物語の途中から要求されるようになり、こうしたストーリイ展開になったのではないか。そういう気がしています。

絵的に男性読者でも受け容れられると思いますし、派手な銃撃戦の割りにグロい場面もありません。そういった意味で、男女を問わず愉しめると思います。オススメ。


【店主の読書ノート18】『三幕の殺人』(アガサ・クリスティー著、ハヤカワ・ポケット・ミステリ版)
三幕の殺人


引退した俳優チャールズ・カートライトが催したホーム・パーティーで、温厚で敵など誰もいない老牧師が毒を飲まされ死ぬ。動機も機会も分からないまま、事件は曖昧なまま忘れられようとしていた。
だが数ヵ月後、そのパーティーに出席していた医師ストレンジが、似たような状況で毒殺されるに及び、様相は一変する。
素人探偵気取りで調査のまね事をはじめた、チャールズと彼を慕う若い娘エッグ。
そして、第一の悲劇に居合わせたポアロもまた、この事件へと乗り出す―。


クリスティーの長編はほぼ読んでいますが、個人的にその中でも上位に入る作品だと思っています。再読してみて、改めて感服いたしました。

本書では連続殺人を扱っていますが、ふつう1→2→3と進むところが0→1→2なのが独自のアイディアで、その考えの発展として(殺人へと至る過程を描く)中期の作品群があるのかな、と思ったりもしました。

女史の作品の特長として、何気なくみえる言葉に、実はまったく違った意味があって、謎が解き明かされてから改めて読み返してみると、最初に考えていたのとは逆のことを示している、というのがあります。ミステリ用語で“レッド・ヘリング(にせのてがかり)”というのですが、クリスティー女史は、これの使い方が抜群に上手い作家なのです。
本書でもその長所が、遺憾なく発揮されていて興をそそります。
(謎解きに直結する事柄なので、ここにそれを例示できないのが残念。)

本格推理小説(謎解きミステリ)を手にとる場合、私も含めて人々は、もちろん謎解きをしながら読むわけです。しかし、クリスティーの小説の魅力は、それだけにあるのではありません。その愉しさは、むしろ再読のときにあると思うのです。

謎解きのために張り巡らした伏線の数々と、その張り方。それらを、「なるほど、この文章の本当の意味は、こういうことだったのか!」と感心しながら読む。それが、クリスティーのもうひとつの味わい方なのです。

着想の妙と考え抜いた構成が光る、アガサ・クリスティーらしい謎解きミステリの力作です。


【店主の読書ノートその17】『オデッサ・ファイル』(フレデリック・フォーサイス著、角川書店刊)
オデッサ・ファイル


偶然立ち会うことになった老ユダヤ人の自殺現場。フリーのルポライター、ペーター・ミラーにとってそれは、記事にもならないささいな出来事にすぎないはずであった。
しかし、知合いの担当刑事から渡された老人の手記が、すべてを変える。そこには、大戦中ラトビア・リガの収容所であった、ナチス親衛隊(SS)による非道な行いが書き綴られていた。とくに所長であるロシュマンのユダヤ人に対する虐待や、リガを脱出する際に彼が手を下したドイツ人将校殺しの告発が、ミラーに衝撃を与える。
調べてみるとロシュマンは、名前を変えて現在もドイツで生活しているらしい。しかも、相当な地位の名士として。
憤然としてロシュマンの行方を追うことを決意するミラーだったが、それは、すぐにナチス残党の秘密組織“オデッサ”の知るところとなる。虎の尾を踏んだ彼の行く手に、“オデッサ”が立ちはだかるのは、必然のことであった……。


はじめて本書を読んだのは高校生のときだから、もう四半世紀も前のことになります。数年前、同じ作者の『ジャッカルの日』を再読して、予想以上に面白かったので、本書もまた改めて読んでみた次第。

1970年代―その萌芽は60年代後半から出ていましたが―、「ニュージャーナリズム」という言葉が、盛んに言われるようになりました。

「ニュージャーナリズム」とは何か?

それは、従来の政府や大企業の発表資料や広報によらず、独自の取材と切り口で調査し、隠されていた事実を報道するというもの、と定義できるかと思います。その試みは、報道のみに留まらず、文学の世界にも影響を及ぼしました。
そうしたなか、それを大衆小説のプロットの中に巧みに取り込み、ベスト・セラーとなったのが、フレデリック・フォーサイスの初期の作品群なのです。

本書に則って具体的に云えば、ロシュマンを捜していくやり方がまさにそれ。その方法論は、ジャーナリストによる取材過程と酷似しています。この手法が中段のサスペンスを産み、かつまた内容に真実性をもたらしています。

警察小説とも私立探偵物とも、ましてや本格推理小説とも違う、謎へのアプローチ。
ここにこの作品のミソがある、と私は考えます。

実のところ、取り扱う情報の性質や、取材による探求という「新しさ」の衣装を剥ぎとった物語そのものは、失踪人探しというミステリの定番プロットな訳です。
また、本書のコア(核)となる主題は、エンタテインメント(あるいは伝奇小説と言い換えてもいい)の古くからある型であり、決して「新しく」はありません(同様の事は、処女作『ジャッカルの日』ついても指摘できることです。)。

そういった「定番」の「古さ」を、「イスラエルとエジプトの対立構造」や「西独の戦後事情」、「ナチス残党の秘密組織」などといった衣で包み、「新しい」装いにしたのがフォーサイスの工夫なのです。

1960年代の国際情勢とナチスに関するジャーナリスティックな問題意識を、エンタテインメントと巧みに融合した傑作。
一読の価値あり、です。

【道草書房HP】http://www18.ocn.ne.jp/~michiksa/
【スーパー源氏】http://sgenji.jp/